Archive for the ‘祇園祭2014’ Category

祇園祭の粽づくり<南観音山>

金曜日, 7月 18th, 2014

今年の祇園祭は49年ぶりに前祭、後祭の2回に分けて行われます。学園大生が毎年お手伝いをしている南観音山と八幡山は後祭になりました。

6月中旬、7月の始めにそれぞれの山で厄除けの粽づくりのお手伝いをいたしました。

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6/21(土)南観音山粽づくり

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南観音山の会所で町内の方々と一緒に粽づくりをしました。ベテランの婦人が「蘇民将来子孫者也」と書かれた赤い紙を折り、学園大生は白い紙を巻いた上から赤い紙を巻きます。

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粽は厄除けとして観光客に販売します。また、買った粽は家の入口に1年間取り付け、1年経つと新しい粽と交換します。

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粽の販売、古くなった粽のお預かりは、宵山(今年から後祭で21日〜23日)の山鉾の埒(らち)と呼ばれる売店で行われます。学園大生は自分たちで作った粽をこの埒に入って販売もします。

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新柳市民講座『変わる祇園祭、変わらない祇園祭』を開催しました(3/3回)

火曜日, 7月 8th, 2014

祇園祭特集第6回として、今回の新柳居市民講座は『変わる祇園祭、変わらない祇園祭』と題して開催しています。祇園祭の後祭(あとまつり)復興に関連する全3回講座シリーズです。

第3回(7/4(金))は奈良大学文学部教授の河内将芳氏を講師に迎え「戦国時代の祇園祭」というお話をして頂きました。

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祇園祭は本来疫神を払う夏の祭なのに「冬に行われた」史実があること、映画や小説での祇園祭は権力(「室町幕府」)に抵抗する町衆の祭礼として描かれているが、延暦寺の山訴による延引・追行が応永4年(1449)〜元亀2年の織田信長の延暦寺焼き打ち(1571)まで頻繁であり、十二月に祭礼が行われたことさえあった(天文7年(1538)『親俊日記』)というお話に、参加者はとても驚いていました。

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山訴では、延暦寺末社の4つの祭が延引・追行されます。すると同じく末社である八坂神社の祭礼である祇園祭も玉突き状態でも延引・追行されたそうです。映画に出てくる天文2年についても、室町幕府自身は祇園祭を式日どおりに行わせようとしたものの(『室町幕府奉行人連書奉書案』)、山訴により延引され、8月23日に追行されて山鉾巡行が行われたそうです(『後法成寺関白記』)。 

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室町時代、町人と幕府と延暦寺の3つの中で成り立ち、鉾の数も60基まで増え安定していた祇園祭が、三者のバランスがくずれたとき「冬の祇園祭」のような特異な形で行われたということでした。たくさん史料を掲出して頂いた中には、下京の町人たちが「神事がなくても山鉾巡行をしたい」と訴えにきたというものや、延引された後、幕府が8月になって「もう一度鉾を組み立てよ」と言ったところ、「迷惑だ」と町人が言上しにきたことが分かる記録も出され、三者のやりとりが目に浮かんでくるようでした。

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※内容は河内先生のお話と資料を元に構成していますが、間違いがあった場合は当方の責任です。

 

 

祇園祭に参加しよう〜浴衣の着付け?〜

月曜日, 6月 30th, 2014

学生たちが祇園祭のご奉仕で、今年も南観音山の売店当番をします。売店当番は浴衣を着て粽売りなどをするため、今日は国際ヒューマン・コミュニケーション学科の売店当番参加者7名が、浴衣の着付けを練習しました。

着付けを指導して下さったのは綾傘鉾の寺田きぬゑさんです。昨年まで「京都観光を英語で」という国際ヒューマン・コミュニケーション学科の授業を京町家キャンパスで受講されていたご縁で、毎年着付けの指導に来て頂いています。

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全員1回生のため、祇園祭のご奉仕はもちろん、浴衣を一人で着るのも今回が初めてです。まず男子学生が好みとサイズに合わせて浴衣を選んで、着付けを習いました。

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 次に女子学生たちの番です。風呂敷を広げて中から色とりどりの華やかな浴衣が出てくると、彼女たちの目が輝いていました。浴衣を肩にかけて、お互いに選びあったり、帯を組み合わせたりする楽しさは女性ならではです。今日は中国からの留学生も2名いました。

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↓女性の浴衣で一番の難所ともいえる帯のつくり方を習う学生たち。すぐに要領をつかんで、きれいに仕上がっていました。

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↓畳み方も教えて頂きました。当日までにしわにならないよう、きちんと畳みます。

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↓女子学生は寺田さんと記念撮影をしました。

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1時間半の授業で男子も女子も最低2度は自分で着付けてみましたが、当日一人で着るには少々不安ということで、14日の授業後、自主練習をすることになりました。今日は水無月の日でしたので、浴衣をしまったら皆で水無月を食べ、次の授業のフィールドワーク(嵐山天竜寺)に出かけて行きました。

新柳居市民講座『変わる祇園祭、変わらない祇園祭』を開催しました

月曜日, 6月 30th, 2014

祇園祭特集第6回として、今回の新柳居市民講座は『変わる祇園祭、変わらない祇園祭』と題して開催しています。祇園祭の後祭(あとまつり)復興に関連する全3回講座シリーズです。

第2回(6/27(金))は元京都市歴史資料館長の山路興造氏を講師に迎え「祇園祭の変容ー変わるものと変えぬもの」というお話をして頂きました。

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祇園祭御霊会と祇園祭との2つの祭として始まった祇園祭が、山鉾巡行がはじまった室町時代には足利将軍家、続いて安土桃山時代には豊臣秀吉による権力の介入があったものの、そのつど続いてきたのには、町衆に<「風流」という美意識は「変化させること」>という前提があった為だそうです。

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 明治時代になり<寄町(よりまち)制度>が廃止され、さらに四条通の拡張、町木戸の廃止、電線・市電の敷設などで祭が大きく変化せざるを得なくなった時にも、住民自治による意志統一の上の改変を続け、加えるものと省くものを住民たちが判断してきたということでした。

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「室町以降、権力の介入がある度に町衆が工夫をして続けてきたのが祇園祭。地域住民の方から何らかの必要性があって、住民の力で祭を維持していく、それが長続きする祭であって、自治体に助けられると弱くなる。京都の町衆は長続きする祭を良く知っていた。」という祭の本質部分と、「今では祇園祭は京都ブランドをアピールする場になっている」という祭の波及効果との両面の指摘には、京都出身の参加者の方でも「初めて気付かされた」という声が多かったようです。

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今回の参加者は53名でした。多くのご来場誠にありがとうございました。 

次回は第3回、奈良大学文学部教授の河内芳将氏に「戦国時代の祇園祭」についてお話いただきます。<満員御礼>